top of page

虹の架け橋クラブに参加して

私が虹の架け橋クラブに参加したきっかけは、一言でいえば「今までの人生で素通りしてきた分野の価値観」に興味が湧いたからです。世代的には高齢者の仲間入り直前で、間もなく前期高齢者となります。戦後の高度成長期以降の教育体制で育ちました。「男らしく、女らしく」「女子は・・・、男子は・・・」が当たり前の時代でした。小学校、中学校、地域社会、家庭を通して、当時のジェンダーの意識を刷り込まれ,それが当たり前だと思い込んで成長してきました。

 

中学生学習指導要領の技術・家庭科に関しては男子を対象とするものと女子を対象とするものとに分けられて実習を受けてきました。保健体育に関してもダンスは主に女子、格技は主に男子と違いがありました。当時はそれが当たり前と刷り込まれてきました。学習指導要領における技術・家庭,保健体育の変遷に関しては、娘達との日常会話で昔と違ってきた事を認識させられた記憶が残っています。


改めて当時の学習指導要領の記録アーカイブを検索してみると、昭和33(1958)年告示の学習指導要領においては,「生徒の現在および将来の生活が男女によって異なる点のあることを考慮して,『各学年の目標および内容』では男子を対象とするものと女子を対象とするものとに分ける」とされていました。更に変遷をたどってみると、昭和60(1985)年になってからやっとのことで「女子に対するあらゆる差別の撤廃条約」の批准を受けて、平成元(1989)年告示の学習指導要領において、中学校の技術・家庭科では、男子と女子で履修領域の範囲に差異を設けている扱いを改め、男女同一の扱いをすると記載されていました。平成のスタートとともに,学習指導要領においてはすべての教科で男女別の履修に関する記述が無くなりました。

 

前置きが長くなりましたが、間もなく前期高齢者になる私よりも若い世代の人達(1989年以前に中学卒業)でも男女で異なる内容を履修してきたことになります。個人差はあると思いますが一般企業、公務員では、役職的には課長以上の管理職者で52歳までのシニア世代が該当します。学習指導要領の変化で急激に履修内容が変わるとは思いませんし、個々の教育者のアプローチの違いも有るとは思いますが、52歳以上の世代は男女別の履修経験者であったと言えます。


当時の風潮、家庭環境や就職先での経験など学校教育の場以外からの情報量によっても個々の価値観は様々に形成されると思いますが、多くの人は男女差別意識が刷り込まれてきたと考えられます。これは少なからず偏見や不平等の要因の一つに数えられると思っています。


また、当時の学校生活の真っただ中でジェンダー意識が生物学的な性別との違和感が有ったとしても今以上に容易に表に出せない時代であったことは明白です。私自身当時を振り返ってみると、無意識のうちに差別的にセリフや行動を繰り返してきた気がしています。具体的にいつ頃、誰に対して差別発言をしたのかは既に記憶に残っていませんが、現在は明確に「多様性を尊重したい、ジェンダーにもとづく偏見や不平等を無くしたい」と意識しています。


冒頭で述べましたが「今までの人生で素通りしてきた分野の価値観」を多くの仲間と共有することにより、ジェンダーによる男女差別が無くなり、個々の実力が今以上に生かされて、安全安心な世の中へのステップにつながると確信しています。

私が具体的に出来る事として締めくくりたいと思います。


① 所属しているライオンズクラブ国際協会メンバーへの啓蒙活動のサポート

② EESa! 虹の架け橋クラブイベント等のアーカイブ制作(動画)

③ 上記に係る企画推進


 これからも学びの機会を増やし具体的な行動につなげたいと思います。



河田淳一






Comments


bottom of page