私はもともとNPO法人日本セクシュアルマイノリティ協会(ボランティアコミュニティ)に約3年前に入会し、活動してきましたが、1年ほど前から虹の架け橋クラブにも参加し、ボランティアコミュニティと虹の架け橋クラブとをつなぐ「A-Bridge」という役割を担っています。
ボランティアメンバーと接するだけでなく、架け橋クラブのメンバーと交流することで、自分の視野が広がったと感じています。
様々なビジネスの場でLGBTQへの知識や理解が必要で、そのために虹の架け橋クラブに参加しているのだという方もたくさんおり、クルーの皆さんは仕事に、そして他者理解にとても熱心だという印象を与えられました。
私は普段、大学教員をしております。
こちらの協会に参加するきっかけにもつながりますが、私は小さい頃からセクシュアルマイノリティ(以下セクマイ)について関心を持っており、セクマイに関係するような映画や小説、漫画、芸術などを鑑賞するのが好きな子どもでした。
その好きなものをいまだに追い求めているだけで、子どもの頃から何も変わっていない気もしますが、この生き様でいいとしてくれたのはやはり両親だと思います。
今でこそセクマイは世間で取りざたされ、考えていこう、向き合っていこうという時代になりました。
しかし、私が子どものときはもちろん今のような取り組み・姿勢は見られず、セクマイは顕在化されぬものして扱われていたと思います。
シスジェンダー・ヘテロセクシュアルであることを当然だとする社会の風潮の中で、セクマイについて興味を抱く子どもであった自分はかなり「変わった子」であったという自覚はあります。
ですが、そのことで両親をはじめとする家族から非難されることもなく、好きなことを自由にやらせてくれたという記憶だけが残っています。
ただ、家族は寛大であっても、世間的にはセクマイに関心があることはやはり「変」だという目が向けられることも理解していました。
ですから、個人の密かな趣味としてセクマイ作品を収集することをしてきました。
時は過ぎ、大学3年生のときに選んだゼミで、ある先生と出会います。
その先生は、これまで私が鑑賞してきたセクマイ作品をほぼすべて知っており、驚くべきことに好きな作品の傾向も似ていたのです。
その先生との会話が楽しすぎて先生の研究室に入り浸るようになり、まさに話が尽きぬという日々を過ごしました。
長年、密かにいそしんできた趣味が認められ、なんだか報われたような気になったことを覚えています。
先生は好きなことを本気で楽しむ喜びを教えてくれました。
そして、それが今の私につながります。
このように、私にとってセクマイとのつながりはちょっと変わっていますが、こちらの協会と出会ったのもセクマイへの好奇心からでした。
研究職に就きましたが、私の専門分野はもっぱら文献などから研究していきます。
私の目指す先は研究での成功ではなく、セクマイをもっと知ることにあり、文献の情報以上にセクマイの現状を知ることが自分には必要だと感じていました。
入会してみると、いろいろなジェンダー、セクシュアリティのメンバーがおり、年齢や職業も皆それぞれで、とても新鮮な出会いでした。
定例会やイベントを通じて親睦を深めていき、セクマイへの興味だけでなく、メンバー個人への関心も強く持つようになり、普段生活していただけでは出会えなかっただろうメンバーとも関わることができ、貴重な経験をさせてもらっているなぁと最近しみじみ感じます。
虹の架け橋クラブにも参加するようになり、「ビジネスとセクマイ」というまた別の視点を教えてもらい、日々セクマイの可能性が進化していることを実感できております。
これからも研究としてセクマイを探究するだけでなく、セクマイ当事者の生の声やセクマイに関わろうとする人たちにも目を向け、研究と現状を知るという両方からセクマイへのアプローチを続けていきたいと思います。
日々初心の感動を忘れずに。今は目下、中学校のときに出会った忘れられぬクィア映画の研究にいそしんでおります。デスク周りは地獄のようですが…。
フジ
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